21回目の春が来た
年が経つとともに、誕生日の感覚とか薄れてくるのを昨年くらいから感じながら21歳になりました。
覚えてくれてる仲の良い友達とか、家族とか、誕生日という事を知って連絡をくれる優しい人とかが自分の年齢を気づかせてくれるなぁって、朝からしみじみ思いました。
21歳なんて聞くと、「大人!」って思われる事が多いけど、いやいや、私は大人でもないし、子どもでもない。そんなふうに思っちゃうんだよね。考え過ぎかな…笑
社会に出て何か行動するときは“大人”として。
家で家族と過ごすときは、「子どもたち」の“子ども”として生きているから、一言で「もう大人でしょ!」って言われると、なんか疑問に思えるんだよね。切り替えが下手なだけかも…
成人式あたりにも思ってた事だけど、国で決められてる成人に達したから大人になるわけでもないし、達してない、未成年だからまだ子どもなんてこともないと思うの。
きちんと「おはよう」が言える小学生もいれば、みんなが歩く道で唾を吐いちゃうおじさんもいる。
ぱっ!って両者を見たら、その光景は“大人”とか“子ども”とかっていう感情を持つより前に、“人間性”とか、“人として”とか、無意識のうちに、人間の中身の部分に目がいくんじゃないかなって。
要は、“大人”とか“子ども”とか、社会全体から見た区分のなかで、分かりやすいから、一言でくくれるから、見た目で大体判別できるから…。とかいう意味で“大人”とか“子ども”っていう言葉がきっとあって、本来心の目で見て感じて、その人とある程度の距離感にいないとわからないような、気づけないような、精神年齢というか、人としてどうなのかっていう目で見えない部分で言う“大人”と“子ども”って言うふうになってないんだよね。自論だけどね笑
長くなったけど、私は見た目でわかることは視力が下がる事がない限り分かるので、心の目を磨いていきたい。感受性を豊かに生きたい。
人間に生まれてきた以上、人間としての生きる道を楽しんでいこう!って思いましたとさ!
4月10日 未来へ🌸
今日4月10日付けで、大学を辞めました。
だけど学校の先生になりたい!という夢は変わらずに学んでいきます。
学校で仲良くしてくれた人やお世話になった人に、ちゃんと自分から話せずごめんなさい。
LINEでわざわざ言うのもな…、電話するほどでもないし、気軽に足を運べる距離じゃないし。そもそもLINEってなんか大事なこと言うのには軽い気がどうしてもしちゃうから、気が進まなかったのが本心。
本当はお手紙を書こうと思ったけど、出すすべがないので辞めました。
私が2年生に上がれたのも、助けてくれる人がいて、仲良くしてくれる人がいて…
恵まれています。ありがとう。
では、なぜ辞めたのか。
通学往復4時間かけて行く事に疑問を感じた事が1番かな。
長期休暇に2、3週間子どもとキャンプへ行ったり、この間もオランダで学校教育を見てきたりで、稼げない。貯金できない。
普段の学校行ってる時も、通学時間が長いので、当然思うように稼げない。貯金できない。
だけど長休みは学びに使いたい!
勉強、単位は、学校にわざわざ行かないと取れないの?そんなふうに思ったのです。
あくまで主観であって、大学自体はめちゃくちゃ良いところだと思うし、学生へのサポートも手厚いし温かいし、友達も個性豊かで優しくて素敵なところだと思ってます。
私はAO入試で5倍くらいの倍率で合格できた事と、こんな素敵な憧れだった大学で2年弱学生でいれたことで充分幸せです。
後悔は全くないし、むしろ清々しいような、これからが楽しみな気持ちでいっぱいです。
今日からのこれから先の未来は、自分で創り出していく。切り開いて行く。を軸に進もうと思っています。
苦手だけど出来るようにしたい自己管理。社会人になるに向けて克服しないとまずいのは自覚済み。
計画的にコツコツやること。これも苦手。短期集中型だから。だけど生涯学習である、学び続ける職につきたいと思う以上、必須だと思って。
その他もろもろやるべき事は沢山あるけど、同じくらい沢山時間もできたので、全部やります。全部挑戦して成長します。
そんなこんなで長くなったけど、いつも仲良くしてくれた方、お世話になった方、出会ってくれた方…本当にお世話になりました。ありがとう!
気が向いたらいつでも会ってください。いつでも連絡ください。ご飯行きましょう。