21回目の春が来た

年が経つとともに、誕生日の感覚とか薄れてくるのを昨年くらいから感じながら21歳になりました。

 

覚えてくれてる仲の良い友達とか、家族とか、誕生日という事を知って連絡をくれる優しい人とかが自分の年齢を気づかせてくれるなぁって、朝からしみじみ思いました。

 

21歳なんて聞くと、「大人!」って思われる事が多いけど、いやいや、私は大人でもないし、子どもでもない。そんなふうに思っちゃうんだよね。考え過ぎかな…笑

社会に出て何か行動するときは“大人”として。

家で家族と過ごすときは、「子どもたち」の“子ども”として生きているから、一言で「もう大人でしょ!」って言われると、なんか疑問に思えるんだよね。切り替えが下手なだけかも…

 

成人式あたりにも思ってた事だけど、国で決められてる成人に達したから大人になるわけでもないし、達してない、未成年だからまだ子どもなんてこともないと思うの。

 

きちんと「おはよう」が言える小学生もいれば、みんなが歩く道で唾を吐いちゃうおじさんもいる。

ぱっ!って両者を見たら、その光景は“大人”とか“子ども”とかっていう感情を持つより前に、“人間性”とか、“人として”とか、無意識のうちに、人間の中身の部分に目がいくんじゃないかなって。

 

要は、“大人”とか“子ども”とか、社会全体から見た区分のなかで、分かりやすいから、一言でくくれるから、見た目で大体判別できるから…。とかいう意味で“大人”とか“子ども”っていう言葉がきっとあって、本来心の目で見て感じて、その人とある程度の距離感にいないとわからないような、気づけないような、精神年齢というか、人としてどうなのかっていう目で見えない部分で言う“大人”と“子ども”って言うふうになってないんだよね。自論だけどね笑

 

長くなったけど、私は見た目でわかることは視力が下がる事がない限り分かるので、心の目を磨いていきたい。感受性を豊かに生きたい。

 

人間に生まれてきた以上、人間としての生きる道を楽しんでいこう!って思いましたとさ!